A-12 / YF-12 / SR-71
【BLACKBIRD - ブラックバード】
SR-71 ブラックバード

 A-12/SR-71 ブラックバードは高高度偵察機 U-2 に代わる機体として、ロッキード社・スカンクワークスが開発した超音速戦略偵察機である。
 初飛行は1962年4月26日に行われ (実際には前日のタキシーテストで、機体が不時浮揚した)、1967年の最初の実戦投入ではベトナム上空を偵察し、多くの SAM サイトの情報を持ち帰った。 以後、北朝鮮や中東での数々のミッションをこなし、1999年10月9日に最後の飛行を行うまで、一度も撃墜されることはなかった。 事実上、無敵の偵察機である。
 当初は CIA 所属の A-12 が活動、その後空軍向けの SR-71 が開発された。 それ以外にも無人偵察ドローン D-21 を搭載した M-21 や、長距離迎撃戦闘機型の YF-12A などの派生型の開発が計画された。

開発
機体及び装備
飛行特性
戦績
性能諸元
バージョン
配備国

開発

A-12 : 

 U-2 の後継機の検討において、偵察機にとっての脅威である SAM による撃墜を逃れるには、高高度をマッハ3以上で飛び、さらにレーダー反射面積を抑えた機体外形と材質を採用することで (現在で言うステルス性である) レーダーに捕捉される可能性を減じることであるという結論に達した。 この研究要求がロッキード社及びジェネラル・ダイナミックス社に求められたのが1957年である。

 ロッキード社のスカンクワークスでは、「アークエンジェル1」 に始まるデザイン案を検討した。 この案は双発の有尾翼デルタ機で、同2と呼ばれる4発の大型直線翼機デザインなどもあった。
 「アークエンジェル(Archangel)」 とは大天使、天使長を意味するが、これは U-2 が開発段階で 「エンジェル」 と呼ばれていたことにちなみ、これを上回るという意味でつけられたものである。 その頭文字を使って、これらのデザイン案は A 記号で呼ばれるようになり、A-1 から A-12 までが作られた。そして、最終的に提出されたこの A-12 が CIA に採用が認められ、開発が始まった。

 実際の開発においては高速飛行で生じる空力加熱に耐えることと、それに加えてステルス性を付与することという課題の解決に困難を伴った。
 マッハ3超で飛行する際、機首の先端や主翼前縁では 640゜F (338℃) という高温に達し、通常のアルミ合金を使用することができなかったため、チタン合金を採用することになった。 チタン合金の加工には従来の工具では強度が不足したため、加工法についても特殊な技術を導入せしめることになる。 機体構造に限らず、アクチュエータやポンプ、使用する燃料 (JP-7)からほとんどの装備に至るまで、同様の問題が当てはまった。

 レーダー反射面積の減少については、機首の外縁にチャイン (ストレーキ) と呼ばれる張り出しを設けることでこれを実現し、さらにこのチャインや主翼前縁と後縁に鋸歯状の構造を設けてレーダー電波を吸収する効果を得ている。 さらに、ブラックバードの非公式ニックネームの由来となった黒い塗装は、当初放熱性の向上を狙ったものだったが、開発中に RAM (レーダー吸収素材) 塗装が開発され、この塗装の適用によってさらにレーダー反射面積が減少された。 A-12 のレーダー反射面積は公式に発表されてはいないが、当時のセンチュリーシリーズの戦闘機の約 1/10 といわれている。

M-21 マザーグース :

 1960年5月1日にフランシス・ゲイリー・パワーズの操縦する U-2 偵察機がソ連領空で撃墜されるという重大な事態が発生するに至り、アイゼンハワー大統領は今後一切ソ連領空の有人偵察飛行は行わないという声明を出した。 このため、A-12 に搭載される無人偵察機の開発が計画された。 それが D-21 である。 D-21 は A-12 の外翼部を胴体につけたようなデザインを持ち、A-12 と同じく機体の外周にチャインが設けられた。

 D-21 は A-12 に改修を施した M-21 マザーグースに搭載されて空中で発射され、マッハ3.2で飛翔してプログラムされたコースを自動的にたどる。 そしてあらかじめ指定されたポイントで写真撮影を行って、カメラなどを収めたカプセルを放出後に自爆・放棄される。 放出されたカプセルは JC-130B のフルトンリカバリー装置により空中で改修される仕組みだった。

 しかし、マッハ3以上で D-21 を発射するのは危険を伴い、1966年7月30日に行われた4回目のローンチテストでは、マッハ3.25で発射した直後の D-21 が母機の M-21 に接触して、M-21 は操縦不能に陥った。 乗員の2人は脱出に成功したものの、1人は着水時に溺死した。

 この事故を受けて計画は中止され、代替案として D-21 は B-52 爆撃機に搭載して空中発射される D-21B に改修されることになった。 数回のテストローンチを行った後、1969年11月9日に中国内陸部の偵察飛行に計4回投入されたが、2回は D-21B が未帰還、2回はカプセルの回収に失敗し、この作戦は中止された。

YF-12A :

 スカンクワークスは A-12 の計画段階からその戦闘機型や爆撃機型を空軍に提案していた。 そこで計画されたのはノースアメリカン XF-108 レイピア用に開発されていた FCS ヒューズ AN/ASG-18 と GAR-9 (AIM-47) ファルコンを流用することで早期に強力なインターセプターが取得できることで空軍が興味を示したものだった。 なお、爆撃機型の B-12/RB-12 は空軍が興味を持つまでにはいたらなかった。

 こうして AF-12 の開発が進められることになり、1961年5月31日にそのモックアップ視察が実施された。 同機は機首に ASG-18 のレーダーアンテナを収容するためのレドームが設けられ、そのために機首側面のチャインはレドーム直前で途切れる形になっ利、キャノピーも大型化され、WSO (兵装システム仕官) の搭乗する後席が設けられた。 しかしこのチャインとキャノピーの形状変更により方向安定性が悪化することが分かり、エンジンナセルと胴体後部にベントラルフィンを装備することになった。

 機体の完成を早めるため、製造途上にあった A-12 を AF-12 として完成させることになり、1963年7月にそれは完成した。 同8月7日には初飛行が行われ、YF-12A へと改称された。

 1964年4月16日には初の AIM-47 イナート弾の発射に成功、その後数回の試射を経て、65年3月18日マッハ2.2で飛行中に実弾を発射して Q-2C ファイアビーの撃墜に成功した。 66年9月まで Q-2C、QB-47 をターゲットとした実弾発射テストを行ったが、AIM-47 実射成績は7発中6発が命中、そのうち5回はマッハ3以上で飛行中に発射したものだった。

 ジョンソン大統領が1964年7月24日に SR-71 の存在を公表したことで、その機密が解かれると、空軍はブラックバードを使用しての世界記録樹立に動くことになった。 当時の米国やソ連、イギリスはそのメンツをかけて航空機の世界記録競争に躍起になっており、ブラックバードの開発当初はソ連の E-166 (MiG-21 改造型)が FAI 記録を独占していたため、米空軍としてはこの記録を取り戻す必要があった。

 1965年5月1日、YF-12A 1号機及び3号機を使用してのレコードトライアルが、エドワーズ基地をベースとして行われた。 その結果、以下の4つの記録がクラスC (重航空機) グループIII (ジェット動力) の FAI 記録として認定された。

維持飛行高度記録80,257.65ft(24,462m)
15/25km直線コース絶対速度記録2,070.102mph(3,331.42km/h)
500kmクローズドサーキット速度記録1,643.042mph(2,644.15km/h)
1,000kmクローズドサーキット(+2,000kgペイロード)速度記録1688.89mph(2,717.93km/h)

 維持飛行高度記録は 1962年9月11日に E-166 が記録した 22,670m を 1,800m 近く上回った。 また 15/25km コース絶対速度はやはり E-166 が62年7月7日に記録した 2,681km/h を 650km/h も超えたものである。 500km クローズドサーキット記録はスホーイ T-431 (Su-9 改造型) が62年9月25日に記録した 2,337km/h を、そして 1,000km クローズドサーキット記録はわずか1ヶ月前に E-266 (MiG-25 改造型) が記録した 2,320km/h をそれぞれ破ったものである。

 1965年5月14日には YF-12A の量産型である F-12B の予算が計上され、AIM-47 の発射実験も成功裏に行われており、空軍は F-12B の採用を本気で考え始めていた。 しかしちょうどこのころベトナム戦争が本格化し、その戦費拡大のために他の軍事費は切り捨てられる状況になった。 その結果 F-12B も予算分配がなくなり、計画は中止されることになった。

SR-71A :

 1962年には空軍向けの複座偵察機型である R-12 及び偵察攻撃機型である RS-12 の提案が行われた。 空軍は R-12 の採用を決定し、制式名として RS-71 を予定した。 RS は Reconnaissance Strike を表す。これはなるべく多用途に使えるとしたほうが予算獲得に有利だという思惑が働いたものであり、XB-70 の偵察攻撃機型 RS-70 に続くナンバーということになる。

 1964年7月24日にはジョンソン大統領が、空軍がマッハ3の戦略偵察機 SR-71 を開発中、という公式発表を行った。 しかしここで、RS を SR と取り違えたため、空軍は Strategic Reconnaissance (戦略偵察機) という新しいカテゴリーを作ってこじつけることになった。 SR-71A の初飛行は1964年12月22日に行われた。

 A-12 は基本的に写真偵察機であったが、SR-71A は多くの機材を有するマルチセンサー機となった。 写真偵察のほか、レーダーシグナル収集 (SIGINT) とレーダー画像収集 (IMINT) が可能となった。

機体及び装備

 A-12/SR-71 は機体構造の93%がチタン合金 B-120VCA (Ti-13V-11Cr-3Al) で造られている。 主翼はデルタ翼であるが、機首側面にチャインを設けたことにより、結果的にダブルデルタとなっている。

 また、機首側面のチャインはレーダー反射面積を減少させるとともに、カナードのような働きもする。 これによって超音速飛行時にはトリム抵抗が減少されて方向安定性が向上したのに加え、低速飛行時にはチャインから発生する渦流によって、垂直尾翼の効きの低下を防いでいる。

 主翼はエンジンを境に内翼部がインテグラルタンクとなっており、その外板は高速飛行時の熱膨張を吸収するために前後方向に溝を持つ波状のものとなっている。 外翼部はチャインとともにエンジンナセルに接しており、この部分は外翼もろともカバーごと上に跳ね上げることでエンジンへのアクセスができるようになっている。

 主翼の後縁には、外翼と内翼それぞれにエレボンがあり、これによってピッチ制御とロール制御を行う。 制御は内翼側がプライマリーとなり、外翼側はスレーブとして働く。 作動角はピッチコントロールの場合で全速度域においてアップ10度、ダウン24度、ロールコントロールの場合がマッハ0.5以下でアップ・ダウンとも24度。 それ以上の高速時には14度でリミッターが働く。 エンジンナセルの後部には垂直尾翼が15度内側に傾けて装備されており、全遊式のラダーを持つ。 動作角はマッハ0.5以下で左右20度、それ以上の速度では10度でリミッターが働く。

 本機は機体が高速飛行時の熱によって機体が膨張と収縮を繰り返すために (マッハ3超では機体の全長が数インチ伸びるといわれている) 燃料タンクのシーリングを完全に行うことができず、常温下では絶えずタンクから燃料が少しずつ染み出すことになる。 それでも燃料の JP-7 は発火点が高いために、漏れた燃料に引火する危険性は低い。

 燃料搭載量の合計は SR-71 の場合で 80,280lbs (36,415kg) にもなるが、その燃料システムも特殊なものである。 燃料は航空での空中給油時に-68度、燃焼室に送り込まれるときには300℃という幅広い温度変化がおきるため、専用の燃料として、低揮発性で高発火点という特性を持つ JP-7 が開発された。 燃料は空力加熱に対応する冷却剤及びエンジン関係の油圧作動油としても用いられる。 そのため、飛行前の燃料はよく冷えていることが必要で、嘉手納基地で運用された際も、沖縄の強烈な太陽光を避けて極力ハンガー内で駐機された。 なお、燃料を消費すると、引火の危険性を避けるために不活性の窒素ガスが燃料タンクに注入される。

 ブラックバードのパワープラントであるプラット&ホイットニー JT11 (J58) は、A-12 初期型と YF-12A が装備した J58 で A/B 推力 31,500lbs (14,288kg)、A-12 後期型と SR-71 が装備した J58 では 34,000lbs (15,422kg) というパワーを発揮した。 このエンジンはコンプレッサーの4段目から圧縮空気の一部を抽出してエンジン外側のダクトにって A/B 部直前まで導くというシステム的な特徴があった。 このダクトは A/B オン、マッハ1.8〜2.0で開き始め、高速時にはラムジェット効果を発揮して A/B 使用時の燃費を改善する。 このため J58 はブリード・バイパス・ターボジェットと呼ばれている。

 エンジンに空気を供給するエアインテイクもエンジンのシステムの一部というべきものである。 インテイクには巨大な可動式スパイク (ショックコーン) が設けられており、衝撃波のコントロールと空気流入量の調節を行う。 このスパイクは高度 30,000ft (9,144m) までインテイクリップから2.4m突き出した状態で固定されているが、それ以上の高度でマッハ1.6以上になると、徐々に後退を始めて、マッハ3.2では66cm後退する。

 マッハ3超の高速巡航時にはインテイクで得られる圧縮比は40:1にもなり、インテイクだけでもマッハ3.2巡航時の全推力の8割ほどが発生する。

 A-12 は基本的に写真偵察機であり、搭載カメラとしてパーキン・エルマータイプI、アクトロンタイプH、アイテック KA-102A の3種が知られる。 タイプIは焦点距離18in (457mm)、f/4.0 の大型カメラで、フィルムは幅 6.6in (91mm)、長さ 5,000ft で、解像度を高めるために ASA 感度は6という低い数値に設定されている。 このカメラによる分解能は、条件がよければ 12in (30cm) に達し、当時のコロナ偵察衛星の分解能が 6〜10ft (1.8〜3.0m) にとどまったことを考えると、かなりの性能であった。 タイプH は 60in (1524mm) レンズを備える長焦点カメラで、4.5X4.5in (11.4cm) のフォーマットの写真を記録する。 その解像力は 80,000ft (24,384m) 上空から 5cm のものを識別する能力があったとされる。 KA-102A も 48in (1,220mm) レンズの長焦点カメラで、フィルムのフォーマットも同じであるある。

 対して SR-71A は写真撮影に加えて多くの偵察装備を持つマルチセンサー機となった。 写真偵察装備としては、OOC (Operational Objective Camera)、OBC (Optical Bar Camera)、TEOC (Technical Objective Camera) が知られている。

 ハイコン OOC は 13in (33cm) レンズと 9X9in (22.9cm) のフィルムフォーマットを持つ広角撮影用カメラだが、後に OBC に代えられた。 OBC はスプリット・スキャン型のパノラミックカメラで、左右の水平線から水平線までの撮影が可能となる。

 アイテック製の TEOC は SR のチャインの左右に装備される。 レンズは 36in (914mm、後に 1220mm に換装) で、真下から左右45度までのクローズアップ撮影に用いられる。 また、一部の SR は 66in (1676mm) という超長焦点レンズを装備した LOROP (長距離斜め撮影) システムを搭載していたという説もある。

 SR-71A の電子偵察装備は、レーダーシグナル収集 (SIGINT) とレーダー画像収集 (IMINT) がメインであり、COMINT 装備は搭載していなかったとされる。 また、SR 自身が囮となって偵察対象国の領空をかすめ飛んで対象国のレーダー活動を誘い、そのレーダー電波を RC-135 などが観測するという手段もとられた。

 レーダー画像収集装置としては、当初 SLAR (側視レーダー) やロラール製の CAPRE と呼ばれるマッピングレーダーが使われたが、80年代に同じロラール製の ASARS-1 (先進型合成開口レーダーシステム) が導入された。 それまでのレーダー画像装置が、悪天候時の補助手段として扱われていたのに対し、ASARS-1 は非常に精細なレーダー画像を描き出し、SR-71A の主力センサーとなるに至った。 一度は退役とされた SR-71A が再び復帰したのも、この ASARS-1 の能力が期待されたもので、ASARS-1 が取得したデータを、ニア・リアルタイムで地上に送信するために衛星データリンクも追加された。

 秘匿性が求められる偵察機としての性格上、航法装置も外部からの支援を避けることと、また超高速であることから、ノートロニクス NAS-14VS ANS (Astro-Inertial Navigation System・天測/慣性航法装置) が開発された。 ANS には52個の恒星の位置が記憶され、そのうちの3個をトラッキングすることで自機の位置を割り出すシステムである。 通常の INS も搭載したほか、TACAN は KC-135Q とのランデブーに必要なものであった。

 YF-12A が搭載する AIM-47 ファルコンは、ソ連の爆撃機を撃墜することを目的に開発された空対空ミサイルである。 全長 3.82m、翼幅 83.8cm、直径 34.3cm、重量 371kg、飛翔速度はマッハ4で、160km の射程を持つ。 誘導方式はセミアクティブレーダー誘導である。

 当初は AN/ASG-18 パルスドップラーレーダーとともにノースアメリカン F-108 に搭載することを目的に開発されたが、F-108 の開発がキャンセルされることになり、それを流用する形で YF-12A に搭載することになった。 YF-12A の量産型である F-12B ではウェポンベイ内に AIM-47 を収容することになり、折りたたみ式の翼を持つ AIM-47B が開発された。 しかし結局は F-12B の開発もキャンセルされることになり、AN/ASG-18 レーダーと AIM-47 は、F-14 に搭載される AN/AWG-9 及び AIM-54 へと進化して完成することになる。

飛行特性

 SR-71A はその飛びぬけた飛行速度と高度とは裏腹に厳しいG制限が課せられていた。 亜音速領域においては -1G〜+3G までの制限となっており、超音速領域では -0.3G〜+3G となる。 このことは原型を同じくする YF-12A でも同じで、マッハ2.0以下でも -0.2G〜+3.5G、マッハ2.6を超えるとわずかに -0.1G〜1.5G となる、背面飛行もできない戦闘機である。

 離陸速度は 210KEAS (Knot Equivalent Air Speed : ノット等価大気速度)、着陸速度は 155KEAS。 離陸滑走を始めて 50〜60kt まで加速すればチャインが揚力を発生し始めるため、この速度でも機首を引き起こせるが、そうすると抵抗が増加して速度を減じることになってしまう。 このため離陸速度の 210kt までは操縦桿を前に倒し気味にして加速することになる。 離陸後はアフターバーナーで一気に亜音速最適上昇速度である 400KEAS に加速し、その後は A/B を切ってミリタリー出力で 400KEAS を維持して上昇する。

 SR-71A に許された飛行中の速度域は、310〜450KEAS だが、成層圏を突き抜けて熱圏の下層にまで達することによってきわめて希薄な大気中を飛行することができるため、それが対地速度に換算されると凄まじいスピードになるのである。

 一方、本機とほぼ同世代の F-4 戦闘機の場合、海面高度から高度 30,000ft までは 750KIAS ノット表示大気速度) という速度を発揮できる。 SR-71A が海面高度ではマッハ0.67しか出せないのに対し、F-4 はマッハ1.13は出せる。 SR-71A が超音速を出せるのは高度 20,000ft 以上で、仮に高度 25,000ft で SR-71A がマッハ1.25で逃げても、F-4 はマッハ1.7で追うことができる。 旋回で振り切るにしても、SR-71A は3G弱の旋回しかできない。 SR-71A が生き残るには高度 60,000ft を高速で飛行することであり、それ以下の高度では簡単に戦闘機に撃墜されてしまうのである。

 遷音速から超音速へかけての領域は不安定であり、この領域では揚力中心が後方に移動し、重心との位置関係が変動する。 このため、エレボンの当て舵が必要となり、この領域に長くとどまっているとエレボンの抵抗によって加速を鈍らせることになる。 また、エンジンの余剰推力もマッハ1.05から1.15付近では減少してしまう。 これらのことから、この領域の加速は緩降下を行って重力を利用して加速を促し、マッハ1.15を超えたら超音速最適上昇速度の 450KEAS を超えないように速やかに上昇姿勢をとる。 こうした一連の加速方法をディッピングと呼ぶ。

 通常のジェットエンジンを動力とする戦闘機は、高度 36,000ft 付近で最大速度を発揮する。 それ以上の高度では高度 82,000ft に達するまで温度低下によるメリットがなく、一方で酸素分圧は減少するためエンジンの出力は低下の一途をたどるからである。 しかし、SR-71A のエンジンはその領域においてますます高い推力を発揮する。

 高度 60,000ft を突破した後、450KEAS マッハ2.6 からは マッハ0.1 増加するごとに 10KEAS ずつ KEAS 上で速度を落とし、高度 70,000ft で 400KEAS とする。 KEAS 上では速度が減少するが、マッハ速度は逆に 2.6 から 3.0 への加速となる。

 高度 85,000ft までの上昇の間に機内の6つのタンクのうち1番タンクの燃料をほとんど消費してしまうことになるが、これによって、機体の重心は超音速域における理想位置である MAC (Mean Aerodynamic Chord : 平均空力翼弦) 25% まで後退する。 実に巧みな設計であるといえる。 また、燃料の JP-7 は冷却剤としても使用し、燃料をタンクの間で循環させて機体を冷却する。 マッハ2.6までは、外気の -56.5℃による冷却と、機体の空力加熱が均衡し、それ以上の速度では温度が上昇する。 つまりマッハ2.6を超えると、SR-71A の機内温度は上昇をつづけることになる。 それゆえに発火点の高い JP-7 が燃料に使われているのである。

 その JP-7 ですら、高速飛行が続くと煮えたぎる天ぷら油同然の状態になる。通常の航空機のように燃料タンクの空積に外気を取り込むと、高温の燃料に酸素が同居する状態になり、燃焼・爆発の危険が出てくる。 このため SR-71A では外気の代わりに機内の液体窒素タンクから窒素ガスを燃料タンクの空積に充填することになるのである。

戦績

 A-12 のテスト飛行が進められていたとき、U-2 偵察機がソ連領空内で撃墜された事件が起き、当時のアイゼンハワー大統領がソ連領空内の偵察飛行はもうやらないと言明したため、A-12 にによってソ連領空を偵察しようという動機は薄れていた。 キューバ危機が起きて、キューバを偵察していた U-2 が撃墜された際も、まだ A-12 は1号機の初飛行から半年という段階で、投入できる状態ではなかった。 その後は U-2 が攻撃される気配がなく、結局キューバへの A-12 の投入も見送られた。

 そしてついに、中国が北ベトナムに地対地ミサイルを供給した可能性があるという、CIA による情報にもとづき、A-12 に実戦投入の場が回ってきた。 これによって A-12 は沖縄の嘉手納基地に配備されることになり、この計画は 「ブラックシールド」 と呼ばれた。

 最初のブラックシールド・ミッションは1967年5月31日に行われた。 嘉手納を離陸した後、沖縄の西方で空中給油を受け、中国の海南島を迂回してトンキン湾を北上、ハイフォン上空より北ベトナム入りし、ハノイを通過した後、ラオスを横切ってタイに入り、そこで再び空中給油を受けた。 その後、北ベトナムと南ベトナムの中間の非武装地帯を通って帰還した。

 この間、北ベトナムによってレーダー探知されたという資料と、レーダー探知のみならず SAM も発射されたという資料、またレーダー電波をまったく感知しなかったとする資料などがあり、このミッションにおける記録には矛盾が存在している。

 ともあれ、以後のブラックシールド作戦において、何発もの SAM が A-12 に向けて発射されることになるが、A-12 はもちろん、その跡を継いだ SR-71 も1機たりとも撃墜されることはなかった。 しかしミッションから帰還した A-12 の機体を調べると、ミサイルの破片が突き刺さっているのが発見されたこともあり、運のよさが絡んだこともあったようである。

 A-12 の北ベトナムへの偵察の成果によって、北ベトナムへの地対地ミサイルの配備の痕跡は見られないことが明らかになった。 これによって、CIA の情報は A-12 の実戦化を急ぎたい思惑によってもたらされた偽情報であるとする推測もできる。

 A-12 のミッションは高く評価されたが、空軍向けの SR-71A の完成が近づくと、運用コストの高いこれらの機体を CIA と空軍が別々に運用することに対する問題が指摘された。 こうして A-12 の退役が近づくことになったが、そうした状況にあった1968年1月23日に米海軍の電波情報収集艦プエブロが北朝鮮に拿捕されたため、その所在位置を探知し、北朝鮮の動きを偵察する任務が A-12 に与えられた。

 偵察は1月26日に行われ、プエブロはウォンサン港に係留されているのが発見され、北朝鮮側にも目立った動きがないことが分かった。 プエブロの返還交渉が行われている間にも、2月19日、5月8日と3回のミッションが行われ、これが A-12 の最後のミッションとなった。 ブラックシールド計画が開始されてから29回のミッションを記録したことになる。

 A-12 の任務を引き継ぐため、SR-71A が嘉手納に到着したのは 1968年3月9日で、最初のミッションは3月21日に行われた。 離陸して空中給油を受けたあと北ベトナムを横切って、タイ上空で空中給油を受けて再び北ベトナムを飛んで戻ってくるというものであった。 北ベトナムに入るとすぐに SAM のレーダーに捕捉されたが、ECM をかけるとすぐにロックオンは外れたという。 嘉手納に配備された SR-71A は、沖縄に生息する毒蛇にちなんで、ハブという非公式ニックネームが使われるようになった。

 偵察ミッションにおいては向かうところ敵なしであったブラックバードだが、運用コストがかかりすぎるため退役させることになった。 1989年11月にはオペレーションが停止、翌年の1月26日に退役式典が行われた。 この時点で SR-71 が記録した偵察ミッションは合計3,551回に達し、訓練飛行を合わせると17,294であった。

 しかし湾岸戦争を経験するに至り、偵察機の不足が指摘されたことから、保管状態にあった SR-71 の2機が復帰することになった。 1995年にはそれらの機体が飛行を行ったが、結局予算がつかずに飛行を差し止められた。 SR-71 は研究用として5機がNASAに譲られたが、その最終飛行は1999年10月9日のことで、これを最後にブラックバードは飛行を終えることになる。

性能諸元

形式 A-12 YF-12A SR-71A
超音速戦略偵察機 長距離迎撃戦闘機 超音速戦略偵察機
製造国 アメリカ
製造会社 ロッキード
主任務 戦略偵察 迎撃戦闘 戦略偵察
攻撃目標 (N/A) 航空機 (N/A)
全幅 16.94m
全長(ピトー管含む) 31.17m 32.07m 32.74m
全高 5.64m
翼面積 166.76m2
主翼後退角 (前縁) 60゜
主翼後退角 (25%翼弦) 52.6゜
前/主脚間隔 5.08m
自重 23,590kg 25,630kg 25,630kg
全備重量 53,070kg 56,250kg 63,500kg
エンジン P&W JT11D-20A
ミリタリー推力 91.1kN (9,300kgf)
A/B 推力 140kN (14,290kgf)
JT11D-20A
ミリタリー推力 91.1kN (9,300kgf)
A/B 推力 140kN (14,290kgf)
JT11D-20 (K)
ミリタリー推力 94.3kN (9,620kgf)
A/B 推力 151.1kN (15,420kgf)
燃料搭載量 不明 不明 36,415kg
最大巡航速度 マッハ3.3 マッハ3.2 マッハ3.2
実用上昇限度 不明 25,900m 25,900m
航続距離 不明 不明 5,150km
実戦配備 1967年 -- 1968年
生産 15機 終了 3機 終了 30機 終了
(SR-71C 1機を含む)

バージョン

●A-12
 CIA 発注の単座型偵察機。 12機完成。
●A-12B
 A-12 に教官の搭乗する後席を設けたトレーナータイプ、「チタニウムグース」。 エンジンは J75 双発で製作は1機のみ。
●M-21
 A-12 2機を D-21 偵察ドローンの搭載母機として完成したもの。 「マザーグース」。 LSO (発射管制士官) の搭乗する後席が設けられて複座となった。
●B-12
 空軍に提案された A-12 爆撃機型。 不採用。
●RB-12
 空軍に提案された A-12 の偵察爆撃機型。
●AF-12
 A-12 の長距離迎撃戦闘機型。 YF-12A に改称。
●YF-12A
 AF-12 を改称。 ヒューズ AN/ASG-18 レーダー FCS と GAR-9 (AIM-47) AAM を装備する長距離迎撃戦闘機原型。 胴体後部とエンジンナセル下面にベントラルフィン追加。 3機製作。
●F-12B
 YF-12A の量産型。 開発キャンセル。
●YF-12C
 空軍から NASA に貸与された SR-71A (64-17951) に与えられた名称。 空軍制式名ではない。 シリアルナンバーも本来は A-12 のものである 06937 という偽のナンバーが記入された。
●R-12
 空軍に提案された A-12 の偵察機型。 SR-71 に発展。
●RS-71
 空軍が当初 SR-71 の制式記号に予定していた名称。
●SR-71A
 A-12 から発展した複座戦略偵察機。 29機生産。
●SR-71A/BT
 BT はビッグテイルの略。 SR-71A 8号機 (64-17959) のテイルコーンを 2.44m 延長したテスト機。 延長部分にはカメラや ECM 装置などを搭載する予定だった。 またドラッグシュートが引っかかったり、離着陸時に尾部をこすらないように上下に 8.5度ずつ折れ曲がるようになっていた。
●SR-71B

SR-71A の後席の位置を高くして複操縦装置としたトレーナー型。 エンジンナセル下面にA型にはないベントラルフィンを追加。 2機製作。
●SR-71C
 SR-71B に準ずるトレーナータイプ。 大破した YF-12A 1号機の後部と SR-71 の静荷重試験機の前部とを組み合わせて1機製作された。
●B-71
 XB-70 のキャンセルにあわせて提案された SR-71 の爆撃機型。 不採用。

配備国

●アメリカ
トップページ航空兵器>SR-71