F-7/F2Y
【SEA DART - シーダート】

第二次世界大戦後、戦闘機は従来のピストン式エンジンからジェットエンジン化し、飛躍的に高速化しつつあった。
しかしながら反面に大型化かつ重々量化したため翼面過重が高くなり、離着陸速度をも高速化、長大な滑走距離を必用とするようになることは容易に予想が出来、事実その通りであった。
よって、空母艦上の飛行甲板という極めて限られたスペースでは将来登場するであろう超音速戦闘機の運用は困難であると考えられていた。
この問題に対し、海軍は普段は航空母艦に艦載し離着陸は水上で行うことにより解決するという研究を1948年10月1日に開始し、同時に研究機製造契約のコンペテンションがスタート。1951年1月19日にコンベア案が採用されることとなりXF2Y「シーダート」の名称が与えられ、2機が製造された。

シーダートの最大の特徴は水上を滑走することである。当然降着装置には車輪は設ける必用は無く、2枚のハイドロスキー(水上スキー板)を持った。
水上静止時にはハイドロスキーでは浮力を得ることは出来ないため格納されており、機体下部からV字型に大きく張り出した、ボートの船底のような浮揚区画により浮く。離水滑走を開始しおよそ10ktに達した時点でスキーが展開し、徐々にスキー滑走へ移り最終的には完全なスキー滑走を行い離水する。着水時は逆にハイドロスキーを展開した状態で接水、徐々に減速し最終的にはハイドロスキーを格納する。また脚部にオレオ式緩衝装置(OLEO:油圧緩衝装置)が採用されており、滑走時の衝撃を吸収するよう設計されている。
なお、ハイドロスキーには車輪がついているが、これは艦上や陸上でのタキシングを実施するためであり、陸上・艦上へ着陸することは出来ない。

また機体は後退角が大きく面積が広いダブルデルタ翼を持ち超音速飛行に適した設計がなされており、同じコンベア社の迎撃戦闘機F-102デルタダガー,F-106デルタダートとよく似たシルエットを持つが、エリアルールは無い(見かたによっては似てもいないようにも見えるかもしれないが)。
エンジンはウェスティングハウスJ46アフターバーナー付きターボジェットの装備が予定されていたが、エンジンの開発が間に合わず同ウェスティングハウスのアフターバーナーを持たないJ34-WE-32が選定された(後述するが後にJ46に換装)。
翼より高い機体上部に背負う形でエンジン2基を搭載した。これは離着水時に海水の飛沫を吸い込む量を最低限にするための処置である。
ウェスティングハウスはJ46エンジンと、ほぼ同時期に開発したJ40エンジンを1950年代の海軍戦闘機に標準装備される共通エンジンにすると息巻いていたが、正直優れているとは言いがたかった。唯一J46-WE-08Aがかの悪名高いボートF7U-3カットラスにも装備された以外にJ46エンジンを装備する機はなかった。本シーダートとカットラスと供にウェスティングハウスはジェットエンジンの開発・供給から撤退した。

1952年12月、サンディエゴのコンベア社リンドバーグフィールドの工場で製造されたXF2Y-1シーダート1号機は同サンディエゴの海軍試験場へ回送され、14日には最初の海上タキシングが実施された。翌1953年1月14日には高速タキシングテスト中、パイロットの不注意で機体が浮き、およそ1000ftの距離の初飛行を記録したが、公式の初飛行は同年4月9日に行われた。
タキシング・試験飛行によって得られた最重要なことはJ34エンジンでは明らかに推力不足で通常の離着水・水平飛行することすらパワーが足りず、超音速飛行どころではなかったことである。そのため即座に予定されていたJ46エンジンに換装されたが、このJ46は試作のXJ46-WE-02であった。
また、滑走時の振動が激しく緩衝装置が十分に機能していなかった。スキー部とオレオ緩衝装置の再設計が行われたが、シーダートの根本的問題として最後まで解決されることはなかった。

翌1954年8月4日にはJ46を装備したシーダートはついに超音速飛行を成功させた。水上機として史上初の快挙であった。しかし、課題も多くあった。シーダートは「超音速をようやく出せた」レベルであってそれ以上の加速も実用には程遠い状況であった。
デルタダガーのプロトタイプYF-102がエリアルールを持つ胴体に再設計した後、劇的に性能が向上した事例もあることから、シーダートにもエリアルールに再設計されれば改善されていただろうという向きもあり、少なからず期待されていたが、本機は水上飛行機であり超音速を重視した設計は水上浮力を得なくてはならないため、制限が多く難しかった。
また、シーダートの問題はそれだけではなかった。航空母艦のカタパルトの性能向上に伴い、当初言われていた超音速艦上戦闘機は不可能であるという説は既に覆されており、極めて静かな水面でしか発着が不可能であるシーダートは艦上での運用よりも大きく制限が加わっていた。サンディエゴの湾内ならともかく、外洋は常に波が静かであるとは限らないため耐波性能の低さは致命的であった。もはや海軍もシーダートへの興味を失っており、これ以上のシーダートの試験は無意味であった。

そして同年11月4日、報道関係者や海軍関係者を集めた席上で低空デモフライトを実施中、シーダート1号機は突如として空中分解、機体は海面に激突パイロット1名が殉職する事故が発生してしまった。結局この事故が決定打となり、より強力なP&W J75ターボジェットエンジンを搭載したF2Y-2計画も進行中であったが、量産化への道は文字通り空中に散ってしまった。10機の生産が予定されていたが生産は5機で終わっている。
後、1955年3月にシーダート2号機が初飛行し、ハイドロスキーを1本にした試験などを行ったが、逆に安定性に欠け結局不成功のまますべてのシーダートプログラムは終了した。

F2Yシーダートは事実上の失敗作ではあったが、世界で唯一超音速飛行が可能であった水上機である。今後シーダートの速度を超える水上機・飛行艇が実用化する見通しは薄く、水上機の速度世界記録は当分更新されそうに無い。
1950年代はジェット戦闘機の技術はいまだ確立されておらず、設計はほとんど手探りであった。乱造とも言えるペースで多くの戦闘機が設計され、製造され、そして実用化されること無く去っていった。その中でも唯一の超音速水上戦闘機であるシーダートは煌々と輝く一番星であろう。

性能諸元

名称 XF2Y-1 / F-7
製造 コンベア
主任務 水上超音速戦闘機
全長 16.0m(52ft7in)
全幅 10.3m(33ft8in)
全高 4.9m(16ft2in)
降着装置 ハイドロスキー6.33m(20ft9in)×2
主翼面積 52.30m^2
乾燥重量 5,725kg(12,625lb)
最大離陸重量 9,750kg(21,500lb)
最高速度 1,364km/h(720kt)
実用上昇高度 16,700m(54,800ft)
航続距離 2460km(1296nm)
戦闘半径 820km(432nm)
エンジン ウェスティングハウスJ34-WE-32 ターボジェットエンジン×2(初期のみ)
MIL:15.11kN AB:無し
ウェスティングハウスJ46-WE-02 AB付きターボジェットエンジン×2(のちに換装)
AB:26.68kN
固定武装 無し(ただし機関砲装備の計画が有り)
初飛行 1953年1月14日(非公式)
1953年4月9日(公式)
乗員 1名
生産数 5機(終了)

固定兵装・ガン 空対空兵装 空対地兵装 アビオニクス類
本機は戦闘機であるが兵装搭載試験は行われなかった。


派生型

●XF2Y-1
通常型。現存する4機がアメリカの博物館で展示されている。
トップの写真はサンディエゴ航空博物館(San Diego Aerospace Museum)のもの。
●XF2Y-2
P&W J75ターボジェットエンジンを搭載する推力強化型。生産されず。
●YF2Y-1
XF2Y-1と同じだが、生産が見込まれていた試験運用時にのみ使用された名称。事故後はXF2Y-1に格下げとなった。
●F-7A
空海軍機体命名法の統一に基づき1970年に与えられた名称。
このときすでにシーダートの全飛行が終了しており、何故試験機に過ぎなかった本機にF-7の名称が与えられたのかは疑問であるが、唯一の超音速水上戦闘機というインパクトを狙って、殆どジョーク的にナンバーを振ったものと思われる。

配備国

●アメリカ(ただし試験のみ)

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