Yak-38
【FORGER - フォージャー】

ソビエト連邦によりハリアーの対抗上開発されたVTOL戦闘機。

ヘリコプターのような垂直離着陸性能と戦闘機の能力を持つ…。航空戦史上最も待ち望まれていた夢のVTOL戦闘機は、1966年ホーカーシドレー量産型ハリアーGR1が初飛行したことにより、その幕を開いた。
一方、鉄のカーテンの向こう側、すなわち東西冷戦の「敵国」であったソビエト連邦は大型の空母を必要とせずに艦隊にエアパワー(航空戦力)を付随することの出来るハリアーを欲していた。また、西側諸国への対抗上、プライドと威信をかけて我々もVTOL戦闘機を保有している必要があった。
そこで開発された機がYak-36 フリーハンドである。しかしYak-36は兵装を搭載すると離陸が不可能という、実用機とはとても言えない性能しか持ち合わせる事ができなかった。そもそもYak-36は研究機であるが当然このような性能では運用する以前の問題であり、即座に改良型のYak-36M。後にYak-38と改名される戦闘機の開発が行われた。Yak-38は1975年に初飛行し1976年に部隊への配備が行われた。
Yak-38のNATOコードはForger(フォージャー:偽造者・まがい物)である。まさに、ハリアーに対抗するべく設計された機を嘲笑うかのようなこの名は、ハリアーの模造という意味合いよりもハリアーに対抗して必死に設計したヤコブレフ設計局を揶揄していると言える。

Yak-38はキエフ級空母の艦載機として運用が開始されたが、その性能は極めて悪く、ハリアーの半分にも満たない搭載量、兵装も貧弱であり射程10kmに満たないAS-7対艦ミサイル、2発のみ搭載可能なFAB250(250kg通常爆弾)、旧式のサイドワインダーのコピーであるAA-2…。また、これらの装備を施した場合、クリーン状態でもハリアーの半分にも満たない戦闘行動半径はさらに低下し空対空装備における実用運用形態では母艦から100km以下という、もはや実用的とは言いがたい性能しか発揮できなかった。
艦隊防空も能力不足、近接航空支援も能力不足、対艦攻撃も能力不足と、せいぜい可能といえば空母から100kmに接近した非武装の輸送機や哨戒機を攻撃するのみであり、それすらも測距レーダー程度の装備では難しかった。
幸い実戦に投入されることは無かったが、仮に実戦を行っていたとしてもキエフ級に艦載する哨戒ヘリコプターや母艦の護衛(気休め程度)にしか使えなかったであろう。
以上のように、極めて戦術性に欠ける同機は当初の目的であった艦隊のエアパワーとはかけ離れた性能しか持てずソ連海軍のVTOL運用思想を根底から覆されてしまった。

フォージャーはなぜハリアーになり得なかったのか。
ハリアーも初期には推力不足やペイロードの不足、戦闘行動半径の短さが問題としてあげられていた。
ハリアーとYak-38の最大の違い、それはハリアーは1つのペガサスエンジンを推力方向を変えることによってVTOLを実現していたのに対しYak-38は主エンジンとして水平後方から垂直下方から前方10度まで可変ノズルを持つ推進・VTOL兼用のR-27V-300エンジンを1基、VTOL用として下向き15度斜めに設置されたRD-36-35VFRエンジンを2基(リフトエンジン)の合計3基を装備していたことが一因と言える。
VTOL専用のリフトエンジンはVTOL時以外は無用の長物であり死過重としてYak-38の飛行性能を悪化させた。Yak-38が初飛行した当時では、エンジン自体の推力重量比があまりにも悪すぎたのだ。
最新のX-35Bも一見はYak-38と同様にリフトエンジンを搭載しているように見えるが、JSFはF135エンジンからクラッチでつながれたリフトファンであるため、垂直上昇用のエンジンは搭載していない。
また、ハリアーはSTOVL(短距離離陸、垂直着陸)を行うことにより大きな最大離陸重量を実現したのに対し、Yak-38はVTOL能力しかあらず、最大離陸重量に極めて大きな制限が生じた。これは先述した搭載能力の脆弱さと戦闘行動半径の貧弱さに直結した。

ソ連自身もYak-38の能力には疑問を抱いていたものの、西側に対抗し設計されたVTOLを生産しないことはソ連の威信にかけて絶対許されないことであり、「運用レベル」にすら満たない同機はおよそ200機が生産され、細々と運用され続けた。
さらにはYak-38のVTOL時の安定性は極めて悪く、相当数が事故により失われたと言う。しかし射出座席の性能は非常に高かったのか公表されている数値ではおよそ90%が脱出に成功している。同等のVTOL機ハリアーも初期は墜落事故が多く同じ事が言えたが、よく落ちるから高性能な脱出装置が必要となる…。皮肉な結果である。

1980年代には推力を大幅に増強し、STOも可能となったYak-38Mの生産が開始され、搭載能力、戦闘行動半径の大幅向上により、スペック上においてハリアーIIに匹敵する能力を得た。また当時最新のAA-8エイフィッド短射程空対空ミサイルやAS-10カレン対戦車ミサイルの搭載が可能となりカタログスペックは飛躍的に向上した。
しかし、時代は急速にソビエト連邦の崩壊に向かっており、母艦となるキエフ級の運用すら滞るようになり、結局Yak-38Mは母艦の周りを警戒する程度のコストパフォーマンスを無視した効率の悪い運用のみが騙し騙し行われ、最後まで「東側のハリアー」になることは出来なかった。
また、本機の後継として完全新設計のYak-141フリースタイルVTOL戦闘機も飛行まで漕ぎ着けたが同様にソ連崩壊に伴い開発中止、そしてキエフ級の退役とともにYak-38フォージャーも全機が退役した。

性能面ではVTOL戦闘機かVTOL攻撃機かという以前に、「VTOLしか出来ない軍用機」としか表現のしようのない同機は、たしかに兵器としては失敗作であろう。
しかし最初にも述べたとおりYak-38の最大の目的は「ソビエト連邦にもVTOL機が生産できる」という抑止力と既成事実を作る事である。武器とは相手に攻撃を思いとどまらせる抑止力がその目的である。と仮定するならば、その点に関してYak-38は十分にVTOL戦闘機としての既成事実を構築しており、その役を果たしたと言える。

性能諸元

名称 Yak-38
製造 ヤコブレフ設計局
主任務 戦闘攻撃機
全長 15.5m
全幅 7.5m
全高 4.3m
主翼面積 18.5m^2
乾燥重量 6350Kg
最大離陸重量 8000kg
最大搭載量 パイロン4箇所
1362Kg
燃料搭載量 2268Kg
最高速度 M1.01
実用上昇高度 12200m
航続距離 700Km
戦闘行動半径 100Km(空対空 60分CAP)
350Km(対艦・対地 増槽×2)
エンジン 推進用:R-27V-300:6800kg
上昇用:RD-36-35VFR 3,750kg×2
固定武装 GSh-23 23mm機関砲
初飛行 1975年
乗員 1名及び2名
生産数 約230(終了)

固定兵装・ガン 空対空兵装 空対地兵装 アビオニクス類
GSh-23 23mm機関砲 AA-2
AA-8(Yak-38M)
AS-11
AS-17(Yak-38M)
無誘導爆弾
測距レーダー
HUD


派生型

●Yak-38

原型機

●Ye-38U

複座型練習機。

●Yak-38M

エンジンやアビオニクス等を換装。STOLが可能になったことにより戦闘行動半径やペイロードがハリアーII並に大幅に性能向上した。AS-10カレン対戦車ミサイル(但し対艦用途?)、AA-8エイフィッドの運用能力を得た。

配備国

●ソビエト/ロシア(退役)

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