MiG-25
【FOXBAT - フォックスバット】

本機は第三次世界大戦勃発が現実的であった頃のソ連の純迎撃戦闘機である。
1950年代後半は米ソを代表にジェット戦闘機は目覚しく進化を遂げており、実用戦闘機は既に超音速に達していた。ソ連でも当然の如く更なる高速を目指すべく超音速高高度戦闘機の研究が継続して行われていた。
本機の仮想敵となっていたのはアメリカで開発中であったB-58ハスラーやA-5ビジランティといったマッハ2級の核搭載爆撃機である。
また1960年にソ連の諜報機関であるKGBがアメリカがマッハ3級の機を開発中であることを察知した。その機はA-12。後にSR-71に発展した偵察・戦闘機である。
さらには圧倒的なマッハ3以上の速度性能と航続性能を持った核爆撃機B-70バルキリーの存在もソ連側は知ることとなる。
上記のような極めて危険性の高い核搭載機を迎撃する戦闘機の開発が急務となった。
なお同機はXB-70に対抗して設計が開始されたという説が色濃いが、それでは時期的に遅すぎてしまう。誤りであると言うほどでもないが開発の契機となったのは前者のB-58ハスラーやA-5ビジランティであろう。また、米国で開発中であった巡航ミサイルの迎撃も目的であった。

そして1961年。MiG設計局は本格的に高度2万メートル以上をマッハ3級の速度で飛行できる戦闘偵察機の開発承認を受け、本格設計に着手した。そして1963年12月。偵察型の試作機Ye-155-R-1(Е-155)が完成した。カナードや、さらに主翼端にタンクを装備しており現在のMiG-25とは違ったシルエットであったがカナードと主翼端のタンクは結局後に取り外されてしまう。翌64年にYe-155R-1は初飛行を行った。

ソ連はYe-155に相当の自信があったのだろう。試作機でありながら上昇記録や速度記録への挑戦も盛んに行われ、Ye-155から推力重量比を搾り出すため、余分な儀装が撤去されたYe-266が使用され、仮想敵であったYF-12と世界記録に挑む熾烈な戦いを繰り広げる。MiG-25(Ye-266)の世界記録への挑戦は、また後ほど取り上げよう。
そのYF-12と世界記録を争った同機は67年にはモスクワエアショーにマッハ3級の戦闘機として飛行展示を行い西側の国防関係者に大きな脅威を与えた。当時西側の最速戦闘機はF-104がせいぜいマッハ2程度であった。この西側のショックがF-14やF-15という傑作機を生む土壌となったのだが、それはまた別の話である。

1969年、同機は正式に採用され偵察型MiG-25Rの名称が与えられ、遅れて翌70年、戦闘機型にはMiG-25Pの名称が与えられた。
実際にMiG-25R及びMiG-25Pがソ連防空軍(PVO)の実戦配備を受けたのは1972年である。

同機の性能はソ連の軍事機密の中でも最高度に含まれ、西側はあらゆる断片的な情報から憶測を立てた。その中でも最もショックであったのが1970年。イスラエルはエジプト方面から飛行してくる高速の偵察機に度々侵攻を許していた。絶対的な航空優勢を目指していたイスラエルだが、当時主力であったF-4ファントムでは対領空侵犯措置を実施してもその高速機には接近することさえできなかった。地対空ミサイルでも同じであった。1970年から1971年のある日。正確な日付は定かではないが不明の高速機はイスラエルのレーダーサイトによりマッハ3.2という桁外れの速度を記録したと言う。
しかしMiG-25自体の実戦配備を受けたのは1972年であることから明らかに計算が合わない。エジプトに軍事顧問とMiG-25の派遣が行われたのは事実であると思われるが試験機のYe-155は無いとしても先行生産機と思われるが、定かではない。
以上のように不明瞭であることから実際はTu-123ヤストレブ偵察UAVであり、それをYe-155/266と呼ばれていた戦闘機であると誤認したという説もある。だが、この説もTu-123ヤストレブはマッハ2.5程度であることから可能性としては疑問符がつく。どちらの説しろ、正体不明のMiG-25がどれだけ西側に脅威を与えていたかを知りえる事ができる。

MiG-25がマッハ3.2を記録した事件は半ば伝説化しているが、実質のところはマッハ2.83が制限速度であり、マッハ3を超えてしまった場合エンジンが破損し交換を要した事例が報告されている。
ミサイルを回避する場合など緊急時においてのみマッハ3以上の速度が出せた“可能性がある”というのが実情と思われる。撃墜されては元も子も無いが制限速度を超えて破損しては意味が無い。

高速度をあくなき追求した同機の最大の敵は「熱の壁」であった。当時の多くの戦闘機はアルミニウムを多用されていたがマッハ3近い速度で飛行すると摩擦熱により変形してしまう恐れがあった。そのため当初は軽量かつ対熱性の高いチタニウム合金を多用することによる解決がはかられたが、現在でも難しいチタニウムの加工である。当時のソビエトの冶金術ではチタニウムを使用することはコスト面から見ても事実上不可能であった。最もソビエトに限らず他の国でも到底耐えられるコストではなかったであろう。その解決策として採用された金属は「鉄」である。

鉄(正確には1-3%程度のニッケルを含む鉄鋼)は確かに耐熱性が高いが重いため通常航空機に使用されない。そのため非常に自重があり、20tを超えている。参考までに記せばF-4で15t、F-15で13tである。さらに燃料消費も激しいことから機内燃料のみで14.5t以上もの量を積むことができる。他の機の数値を出せばコンフォーマルタンクを装備するF-15Eですら10t程度である。
よって翼面加重は高く過重制限も4.5Gと、目視内における戦闘は一切考慮されてない。機動性は無いに等しい。(なおMiG-25が就役した当時西側にはF-15に匹敵する機動性とマッハ3の高速性能があると思われていた)
R-15BD-300ターボジェットエンジンも高速飛行に適されており、静止状態〜超音速まではターボジェットとして機能し、音速以上ではラム圧を利用し圧縮が行われるターボラムジェットに近い機能を備えている。
ただし、燃焼効率は相当低く14.5tもの燃料を搭載していながら航続距離は1800km程度(亜音速)である。

FCS・兵装類も迎撃戦闘機として特化されておりレーダーはRP-25スメルシュ パルスドップラーレーダーは高中低PRF(Pulse Repetition Frequencyパルス反復周波数)が繰り返し行われRCSの大きい大型機であらば視程80Kmで探知が可能である。数値で言えば過去のどの戦闘機よりも広い探知距離を持っていた。
主要兵装はスペツテクニカAA-6アグリッド(R-40)である。AA-6はセミアクティブレーダー誘導(赤外線誘導型もあり)の射程30-50Kmの中射程AAMで70Kgもの弾頭を備える、MiG-25のそもそもの任務、対高速爆撃機を意識した強力なミサイルである。また赤外線誘導の短射程ミサイルAA-8エイフィッド(R-60)を装備する。
偵察型のMiG-25Rは迎撃型のスメルシュレーダーの代わりに5つのカメラ窓を持つ。

MiG-25戦闘機型の実戦での戦果は正直あまり芳しくない。ただMiG-25を装備する国の相手が悪すぎた。主な実戦では70年代後半から80年代にかけたシリアとイスラエルの衝突や、91年湾岸戦争とその戦後であり、相手は常にMiG-25を配備する国よりも圧倒的に組織的な空軍と、より先進的な戦闘機であった。

しかし、その中においてMiG-25は他のミグ戦闘機を凌駕する実績を上げている。その1つが湾岸戦争における実績である。1991年1月17日。湾岸戦争空爆開始初日に空母サラトガから発進した対防空網制圧(SEAD)ミッションに従事中のF/A-18をAA-6アグリッドミサイル(と、推定される)により撃墜した。当初米側はSAMにより撃墜されたと発表していたが後の調査によりMiG-25である可能性が高いと修正された。
余談ではあるがF/A-18に搭乗していたパイロットは戦死したとされていたが、2000年に撃墜されたF/A-18の残骸を発見。調査によりベイルアウトしていたことが判明した。現在の生死は不明である。
ベトナム戦争以降、アメリカ軍所属の戦闘機を撃墜したのはMiG-25のみである。

また、1981-82年(未確定)ごろシリアの2機のMiG-25がイスラエルのF-15C2機との交戦において1機を撃墜したという。ただし撃墜戦果というものはどの国も多少は過剰になってしまうものである。イスラエルはF-15の損失は無いと発表しているため、事実上この説を否定しており信憑性は限りなく低い。しかし仮に真実だとすればF-15を撃墜した唯一の戦闘機となる。

2003年イラク戦争において、哨戒飛行中のRQ-1AプレデターUAVと交戦。プレデターは自衛用のスティンガーを発射したが命中せず、MiG-25はプレデターを撃墜した。史上初めて攻撃能力を持つ無人機と有人戦闘機が交戦した事例であり、プレデターが戦闘機に撃墜されたのも初めてである。将来起こりえるであろう有人戦闘機 対無人戦闘機は有人戦闘機の勝利で幕を引いた。

同機を語る上で最も重大かつ大きな出来事といえば、1976年9月6日ベレンコ・ビクトル・イワノビッチ中尉がMiG-25Pでウラジオストック北東180Kmに位置した基地を離陸し函館に強行着陸。アメリカに亡命した事件であろう。
この事件により、謎のベールに包まれていたMiG-25は日米合同の調査を受けることとなる。
調査により得られた結論は“MiG-25 is not so hot”つまり「MiG-25は大したことなかった。」である。特に電子機器類は真空管を多用するなど当時の西側諸国の機体に比べて遙かに劣っていた。当時の西側の戦闘機も真空管が使われていたことを鑑みると、相当割合が高かったという事なのであろう。一説には軍事に詳しくない人物がMiG-25は真空管を使っていると聞き事を大きくしたとも言うが定かではない。
だが、ある一定の目的(迎撃と言う主任務)を確実に達成するため保守的に真空管を使用した可能性もあり、西側に比して劣っていたのは確実としても、一概に欠点であるとは言えない。
また、「大したこと無かった」という言葉にはMiG-25の性能が絶対的に劣るからというわけではない。アメリカがMiG-25を過大評価していたため相対的に低かった。と見るべきであろう。それでも当時MiG-25に優位に対抗できたのはF-14とF-15しか存在しなかったのは事実である。

最後になるがYe-155の打ち立てた記録を記す。
なお記録上はYe-266となっているが名前が違うだけで同機種である。

■絶対上昇高度記録
無制限ペイロード:37,650m

■上昇力
1973年:
高度20,000m:2分49秒
高度25,000m:3分12秒
高度30,000m:4分3秒

但し上記は1975年にF-15ストリークイーグルに全て更新されてしまう。
(20000m2分3秒、25000m2分41秒、30000m3分18秒)

しかし同年記録を奪還すべくエンジンを強化したYe-155M(Ye-266M)が、
1975年:
高度30,000m:3分9秒
高度35,000m:4分11秒
を記録、F-15が持つ30000mの記録を更新した。また35,000mの記録はMiG-25が最初である
30,000及び35,000mの記録は2005年現在まで破られていない。

■速度記録
・1000km/h周回 (瞬間最大速度ではなく1000kmを経過した時間で割って求められる)
2000Kgペイロード:2920Km/h(同時に1000Kg,無制限での記録を更新)

・500Km/h周回
無制限ペイロード:2981.5Km/h(同時に絶対速度記録を更新)

ただし、ほとんどをYF-12/SR-71に更新される。

MiG-25の高速性能は戦闘機はもとより、特に戦術偵察機としての能力は迎撃が難しい高高度と高速度で飛翔する同機は間違いなく世界一級品である。21世紀に入った現在でも「世界最速の戦闘機/偵察機」の地位を不動のものとしており、今後MiG-25の記録を上回る戦闘機の誕生は、現代の航空戦戦術が根底から覆されない限り誕生することはないであろう。

性能諸元

名称 MiG-25P
製造 ミコヤングレビッチ設計局(MiG)
主任務 迎撃戦闘機(P型)/偵察機(R型)
全長 19.75m
全幅 14.0m
全高 6.5m
主翼面積 61.4m^2
補助翼面積 --
フラップ面積 --
垂直尾翼面積 --
水平尾翼面積 --
乾燥重量 19,700Kg
最大離陸重量 41,090Kg
最大搭載量 4,000kg
燃料搭載量 14,570Kg +4370Kg増槽
巡航速度 マッハ0.9
最高速度 2981.5Km/h(FAI公認 Ye-266)
制限速度マッハ2.83 但マッハ3.2の記録もあり(MiG-25R)
実用上昇高度 20,700m
航続距離 機内燃料のみ
(超音速):882nm(1,635km)
(亜音速):1,006nm(1,865km)
5300L増槽装備時
(超音速):1,150nm(2,130km)
(亜音速):1,295nm(2,400km)
戦闘半径 400Km
エンジン ソユーズ/ツマンスキー ターボジェットエンジン
R-15BD-300: MIL86.2Kn AB109.8Kn
固定武装 無し
初飛行 1969(Ye-155)
乗員 1及び2
生産数 1190機(終了)

固定兵装・ガン 空対空兵装 空対地兵装 アビオニクス装備品類
無し AA-6
AA-7
AA-8
AA-11
AA-12
AS-11
AS-17
無誘導爆弾
KM-1射出座席


派生型

●Ye-155

MiG-25の試作機。
なお、Е-155と表記する場合もあるがЕはいわゆる英文字の「E」ではなく、キリル文字の「Е」であり英文字で表す場合は「Ye」となる。

●Ye-266

Ye-155と同一機。記録挑戦用の名称。余分な儀装を取り外している。

●Ye-155M

F-15に奪取された記録奪還用にエンジンを強化した機

●Ye-266M

Ye-155Mと同一機。差異は名称のみ。

●MiG-25P フォックスバットA

初期戦闘機型。ベレンコ中尉亡命によりIFFやレーダーなど最高機密を全てを晒してしまったためPDに改造を受けた。

●MiG-25PD フォックスバットE

ベレンコ中尉亡命事件に関連しIFF、データリンク、レーダーを換装。TWS能力の付与とルックダウンが強化された。TP-62Sh IRSTを搭載。AA-7(R-60)とAA-8の運用能力を得た。後にAA-11も装備した。

●MiG-25PDS フォックスバットE

MiG-25Pから改修を受けたMiG-25PD。

●MiG-25PDF フォックスバットE

MiG-25PDのアビオニクス類のグレードダウン型。MiG-25Pと同等のスメルシュを搭載し輸出に限定。

●MiG-25PDZ フォックスバットE

MiG-25PDに空中給油ドローグをキャノピー右側前方に装備。ただし1機のみ。後述のMiG-25RBV、MiG-25RBShも同等の改修を受けたが、実用にいたらず。

●MiG-25R フォックスバットB

初期偵察機型。

●MiG-25RB フォックスバットB

偵察型に無誘導爆弾類を搭載可能にした偵察/攻撃機。最大で胴体下/側面に6発、主翼下に左右2発ずつFAB-500 500Kg爆弾を装備する。慣性航法装置を追加。また核爆弾運用も可能という不確定情報もある。

2004年8月、イラクにて掘り出されたMiG-25RBと思われるフォックスバット。RBではなくとも偵察型であるのは間違いない。湾岸戦争かイラク戦争どちらかにおいて地中に隠されていたと見られる。

●MiG-25RBV フォックスバットB

MiG-25RBにSRS-4電波受信機を搭載した(SIGINT)ELINT/COMINT機。写真偵察能力も持つ。後にSRS-9側方監視レーダー(SLAR)を搭載。1978〜1982年に製造された。

●MiG-25RBT フォックスバットB

MiG-25RBVのSRS-9をタンガーシ受信機に換装。

●MiG-25BBT フォックスバットB

詳しいことは不明。

●MiG-25RBK フォックスバットD

MiG-25RBからクープ3電子偵察機材を装備。偵察用光学カメラは持たない。後にMiG-25RBS同等の改修を受ける。

●MiG-25RBF フォックスバットD

MiG-25RBからMiG-25RBK同等の改修を受けた型。シャーSLARを装備。

●MiG-25RBS フォックスバットD

MiG-25RBからサブーリャSLAR(対地側方監視側視レーダー)を搭載した電子偵察機

●MiG-25RBSh フォックスバットD

MiG-25RBSからショームポルSLARにアップグレードした型

●MiG-25BM フォックスバットF

偵察型から発展した電子戦機型。ECM関連機器を搭載し、さらにAS-11(Kh-58)ARMを4発装備しSEAD能力を得た。後にAS-17装備能力を得た。

●MiG-25RU フォックスバットC

MiG-25R系(偵察機型)の練習機。コックピット前方下に教官用のコックピットを追加。最高速度はM2.65である。

●MiG-25PU フォックスバットC

MiG-25P系(戦闘機型)の練習機。ほぼMiG-25RUと同等であり、レーダーを持たない。兵装発射・故障をシミュレーションする機能を持つ。最高速度はM2.65である。

●MiG-25U フォックスバットC

詳しいことは不明、しかし形式から練習機に関係する機体だと思われる。

●MiG-31 フォックスハウンド

MiG-25の機体構造を流用し、ほぼ全ての機器を換装。速度性能や上昇力こそ大きく低下したが迎撃戦闘機としての能力は桁違いに向上した。目視外戦闘能力は現時点でも世界最高クラスである。

配備国

●ソビエト/ロシア(偵察型のみ)※予備機は戦闘機型も有り。

●アルメニア(退役)

●アゼルバイジャン(退役)

●アルジェリア

●カザフスタン

●トルクメニスタン

●シリア

●リビア

●イラク

●インド(偵察型のみ)

●アルジェリア(退役)

●ベラルーシ(退役)

●ウクライナ(退役)

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